蓮は泥より出でて泥に染まらず

悔しい思いは人生の彩りなのかもしれないなぁ〜。

華水龍のメニューの中には『華水龍〜舞〜』と名付けたものがございます。下記『華水龍〜舞〜』ページより抜粋。

舞は華水龍の「華」の属性です。舞には蓮の花(蓮華〜れんげ〜)のイメージがあります。『蓮は泥より出でて泥に染まらず』泥の中に根を張り地下茎には蓮根(実)があり、余計なものは削ぎ落とされ蓮の華は泥より出でて泥に染まらず、泥を栄養としてさらに美しく咲き舞う。
いろんな経験をして私たちは生きています。良いことも悪いこともあります。ですがそれらが全て『あなた』という素敵な華を咲かせる為の準備だとしたら、有意義なことなのかもしれません。とは言え、自分にとって嫌なことが起これば、それはとても受け入れがたいのも事実。そして現世においてそれは、忍耐という枠の中で正当化されてしまうことが多いようにも思います。本来嫌なことは自分が頭で考えるまでもなく嫌なこと。この感覚が出てきた時に「自分は本当はどう思い感じているのか」と内観することが出来れば、もっとあなたの本質を自在に表現することが出来るのかもしれません。

『蓮は泥より出でて泥に染まらず』

この言葉は私にとって、とても美しく凛として心に入ってくる言霊だなぁ〜と感じる大好きな言葉でして、スーダラと一緒にラインナップされております。先日、高野山で阿字観体験をした時に偶然、蓮の話しをしてくださいましてまさにこの言霊の詳しい解説でびっくりしました。

そして先日参加したイベントでも(これはまた改めて書きますね)破壊と再生の話しが出ていました。新しい流れが凄い勢いで押し寄せていること感じます。一昨日は神の使いと言われているシカさんが東海道線に衝突しておりましたし、今までの当たり前が覆るほどの大きな意味を持つ転換期と感じています。

自分への許し

ここからは私が今感じていることを書きます。「自分への許し」これがこの瞬間のテーマなのかなって最近思うのです。『自分を律して目標や目的に向かって進む』から『本来の自分に戻って目標や目的に向かって進む』へのシフト。自分として立ち、自分の内側を世の中の当たり前や通念、建前などの自分で作ったジャッジを外して正直に観、それをどう表現していくのか。

言葉は便利だけど不十分

いつも思うんです。言葉では伝えられない言葉の奥底にある揺らぎを是非感じてほしいと。どちらかといえば言葉よりもこの揺らぎの方が私にとっては重要要素がいっぱいです。揺らぎを言葉にすると『感覚』と言うことにはなります。

理論軸から感覚軸へのシフト

最終的には理論軸と感覚軸をバランスよく使えるのが理想だなぁ〜と思っています。ですが私たちは理論軸を学校で叩き込まれているために、感覚軸の使い方を忘れています。本来感覚を学べる美術や音楽でさえテクニックや型を学ぶことが多くなっているんじゃないかち思ったりもします。いまこそ忘れてしまっている感覚軸の存在をもう一度思い出して、サビを取りピカピカにする時期なんじゃないかと感じます。

「その間、理論軸が錆びるんじゃ〜?」と思いますか?ワタクシ先日久々に事務職人に3ヶ月ほど戻りました。この7年ほど感覚軸をピカピカにすることに一生懸命になって俗世間から離れておりましたので、正直出来るのかな?って思いてましたけど、どうにかなっちゃいました!自転車に乗れるようになったらしばらく乗ってなくても乗れる、そんな感覚でした。この体験をしたことで理論軸と感覚軸をバランスは自分次第で取ることが出来ると腑に落とすことが出来ました。

バランスの探究

今、私はそのバランスがもっとも安定する自分の真ん中を日々探究しています。なぜ真ん中を知りたいかと言うと、そこが自分のいつでも帰ることの出来る安心で緩める場所になると感じているからです。プラスな感情、マイナスな感情、濃淡がない人生はきっと私は飽きてしまうので大なり小なりあった方が楽しいとは思うけど、不安にはなりたくない。そう思って探究した今現在の自分なりの結果です。

まとめ

なんだか取り留めもなく書いてしまいましたが、今の全体の流れを知って自分を内観をするきっかけになったらいいなぁ〜と思います。と書きながらも、自分の今を覚えておくために書いたのだろうなぁ〜。基本媒体タイミングでの発言や言葉はあまり覚えてないもので。。。^^;

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